オーディオ機器やスタジオ機器においてサウンドの作り込みに欠かせないデバイスがDSP(デジタル・シグナル・プロセッサ)だ。信号処理によりさまざまな音場や効果を作り出したり、ノイズ・キャンセル/エコー・キャンセルを実現するなど、DSPが果たす役割は大きい。汎用的なDSPが多い中で、アナログ・デバイセズ株式会社(以下、ADI)が展開するのが、オーディオ専用の「SigmaDSP」である。グラフィカルな開発ツール「SigmaStudio」によってコーディングレスの開発を実現した。
集合写真(左より)
アナログ・デバイセズ株式会社 リージョナルマーケティング&チャンネルグループ セントラル・アプリケーションズ アプリケーション エンジニア 祖父江 達也 氏
インスケイプ株式会社 APS実験室 室長 浦邉 康雄
アナログ・デバイセズ株式会社 オートモーティブ セグメント フィールド アプリケーション エンジニア 浦野 聡 氏
目次
13年の実績を持つオーディオDSP。車載を中心に採用が広がる。
――今日はオーディオ専用の「SigmaDSP」とその開発ツールである「SigmaStudio」についてご紹介いただけるとのことで、ADIに伺っています。まずはSigmaDSPについて教えてください。
祖父江:SigmaDSPはオーディオ専用に開発したDSPで、オーディオのシグナルチェーンを構成するA/Dコンバータ、専用DSP、D/Aコンバータなどをワンパッケージにした製品です。最初の製品「AD1953」を出したのが2004年ですから、もう13年ぐらいの歴史があり、現在の最新品種である48チャンネルのデジタル入出力を備えた「ADAU1452」は第4世代にあたります。
――失礼ながら今回の取材までSigmaDSPという名前を知らなかったのですが、ずいぶん前から出ていたのですね。
浦野:そうなんです。歴史が長いデバイスですが、いくつかのマーケットに注力していたこともあり、ご存知ないお客様もいらっしゃるかもしれませんが、こうした記事をきっかけに覚えていただければ嬉しく思います。
――どういった用途に使われているのでしょうか。
祖父江:マーケットとして大きいのは、自動車のインフォテイメント系ですね。最近の自動車には数多くのスピーカーやマイクが搭載されていて、音楽を聴く、ハンズフリーで通話するなど、さまざまな状況に応じた信号処理と細かな調整が必要ですが、SigmaDSPは最適なパフォーマンスと開発環境を提供します。自動車以外では、テレビやオーディオ機器などのコンスーマ製品のほか、レコーディング機器や産業機器などでも使われています。海外では空港のような施設の音響制御やプロ用のスタジオ機器にも採用されています。そうしたさまざまなアプリケーションに向けて、高性能かつ多チャンネル構成の自動車向け品種、アンプなどを内蔵して小型化を図ったポータブル機器向け品種、およびセルフブートにも対応したコンスーマ向け品種をそれぞれ展開しています(Technical NOTE参照)。
――オーディオ用DSPと銘打っていますが、一般的なDSPとはどう違うのでしょう。
祖父江:品種によって機能は多少異なりますが、たとえばA/DコンバータやD/Aコンバータを16ビットではなくて24ビットにしたり、アンプ回路を内蔵したり、S/PDIFという専用のデジタル入出力を設けるなど、先ほども述べたようにDSPコアだけでなく、オーディオのシグナルチェーンをコンパクトに構成することを主眼に開発しています。DSPもオーディオ信号の処理や音場設計に適した機能を中心に構成しています。ADIではほかにもDSP製品を出していますが、固定小数点を扱える「Blackfin」は、オーディオだけでなく、システムも含め、画像処理などにも適したDSPで、32ビット浮動小数点が扱える「SHARC」はオーディオを得意としつつも、より汎用的な高性能DSPという棲み分けです。
浦野:通常はDSPを使いこなそうとすると複雑な信号処理の原理であったりDSPの命令を理解しないといけませんが、SigmaDSPはソフトウェアエンジニアやサウンドデザイナーの方でも簡単に扱えることをコンセプトにしていて、グラフィカルなユーザーインタフェースを備えた開発ツールの「SigmaStudio」を提供している点も特徴のひとつです。オーディオにも使えるDSPデバイスは他の半導体ベンダーからも出ていますが、SigmaStudioのようなGUIベースのツールも合わせて提供しているのはアナログ・デバイセズだけだと思います。
GUIベースの設計環境SigmaStudioがコーディングレスを実現。
――では、SigmaStudioを紹介してください。
祖父江:SigmaStudioはMicrosoft Windows上で動作する無償ツールです。入力から出力に至るSigmaDSPのシグナルチェーンをメインウィンドウでグラフィカルに設計したのち、コンパイルを行ってSigmaDSP用のバイナリコードを生成するというのが大まかな流れになります。画面の左側にはオーディオの処理に適したさまざまな「モジュール」がツリー形式で用意されていて、たとえば、ミキサー、スプリッタ、ダイナミクス、マルチプレクサやデマルチプレクサ、イコライザ、ディレイなどのモジュールのほか、ADIが作成した高機能なモジュールを選択することができます。SigmaDSPとパソコンは「EVAL-ADUSB2EBZ(以下、USBi)」というインターフェイスボードで接続します。SigmaStudioで、コンパイルしたコードをダウンロードするだけでSigmaDSPを動かせます。画面上のモジュールのスライダーをマウスで動かすだけで、音量や音質などをリアルタイムで調整し、確認できるのが特徴です。
――SigmaDSPを搭載したシステムを制御するマイコンのプログラム開発とは、どう連携させればいいのですか?
浦野:SigmaStudioでコンパイルするとC形式のヘッダファイルとバイナリコードが生成されますので、SigmaDSPを制御する外部マイコンのソフトウェアを開発する際に、それらのファイルをインクルードするだけです。オーディオの処理に必要なDSPの複雑な命令を直接操作する必要はなく、コーディングは一切不要です。そのためコードの最適化なども必要ありません。
祖父江:セルフブート機能を備えたSigmaDSPを使う場合は、外付けのシリアルEEPROMにバイナリコードをプログラミングしておけば、ブート時に自動的にコードとパラメータを読み込んで、あとはスタンドアロンで動作します。
――なるほど。Cが扱える環境があればよくて、SigmaStudio以外には専用の環境を構築する必要などはないということですね。
祖父江:はい。基本的にSigmaDSPの制御は、SigmaStudioが生成したヘッダ、バイナリを外部MCUに組み込む形で実現します。また、SigmaStudioは固定したい部分をロックすることもできるので、ハードウェア設計者やシステム設計者が設計を固めたのち、たとえばイコライザ部分だけを残してロックをかけた状態でサウンドデザイナーに渡すこともできます。開発フロー全体の中で、それぞれの担当者にとって使いやすい工夫を盛り込んでいます。
充実した開発リソースを提供。ボイスアプリにも多くの可能性が。
――先ほどSigmaDSPは自動車への応用のほかオーディオ機器などに使われているというお話がありましたが、最近話題にのぼっている「ハイレゾ」機器にも使えるのでしょうか。
祖父江:もちろん可能です。ただしSigmaStudioは設定したサンプリング周期内に収まるようにSigmaDSPのコードを生成するのですが、サンプリング周波数をたとえば96kHzぐらいに高くすると周期内で実行可能な命令数の上限が抑えられてしまいますので、複雑な処理を定義した場合は実行が困難と判断されてコンパイル時にエラーが出力されることがあります。その点に注意していただければ問題ないと思います。
――開発用に提供される情報などがあれば教えてください。
祖父江:評価ボードは2017年3月現在で4種類をリリースしていて、アナログ・デバイセズの代理店から200ドル弱(米国での参考価格)で購入できます。なかでもコンスーマ用のADAU1701を載せた「EVAL-ADAU1701MINIZ」は、USBインタフェースのUSBiが付いて200ドル弱と手軽で、しかも2W出力のD級アンプも内蔵していますので、音源とスピーカーをつなぐだけでSigmaDSPの機能が試せます。設計に役立つ情報としてはSigmaDSPおよびSigmaStudioを対象にしたwiki(https://wiki.analog.com/resources/tools-software/sigmastudio)がかなり充実してきましたので、サンプルプロジェクトの内容を含めて参考にしてください。
――評価ボードとSigmaStudioを使えば、簡単なオーディオアンプや楽器用のエフェクタなども自作できそうですね。
浦野:一度気に入っていただけると、離れられないよね、次の製品でも使いますよ、というお客様の声をほかのDSPよりも多くいただくことがSigmaDSPの特徴です。ボイスアプリケーションを対象にした製品ではないのですが、評価ボードもありますので、ご興味があればぜひ遊んでみてください。
――たいへんユニークなソリューションであることがよく理解できましたし、評価ボードとSigmaStudioを組み合わせていろいろといじってみたくなりました。ありがとうございました。
SigmaStudioを使って音を出してみた!|実験室番外編
――ADI:せっかくの機会ですので、APS実験室の「室長」にSigmaStudioを試してもらいたいと思います。プログラミング言語の初歩で扱う「Hello World」のような簡単な入出力処理をやってみましょう。
室長:よろしくお願いします。
――ADI:用意するのは、SigmaStudioをインストールしたWindowsパソコン、USBiインタフェース、そしてADAU1761が搭載された評価ボードEVAL-ADAU1761Zです。手順としては、(1)SigmaStudioでプロジェクトファイルを作る、(2)ADAU1761のアナログ入出力を定義する、(3)ボリュームコントロールを定義する、というステップで進めてみましょう。SigmaStudioの画面からそれぞれを定義してお互いを結線してみてください。
室長:やってみます…(SigmaStudioを操作する)…こんな感じでいいんでしょうか(図1が今回室長が作成したもの、ボリューム、イコライザを入出力間に追加している)。
――ADI:はい、大丈夫です。最後に「コンパイル&ダウンロード」ボタンをクリックすればコードとパラメータが評価ボード上のADAU1761にダウンロードされます。続いてボリュームのスライダーを最小にした状態で、評価ボードのオーディオ入力にスマホを接続し、スピーカー出力に適当なスピーカーをつないでみてください。それでスマホで音楽を再生すれば鳴るはずです。
室長:(コンパイル&ダウンロード後に、スマホとスピーカーを接続してボリュームのスライダーを上げていく)…あ、鳴りました。ドラッグアンドドロップだけでできて、すごい簡単なんですね。
――ADI:そうなんです。SigmaStudioを触ったお客様全員が、こんなに簡単でいいの?というような反応をされます。次に、シングルバンドのイコライザを追加してみましょう。ボリュームモジュールと出力端子の間にイコライザモジュールを置いて、それぞれをつないでみてください。
室長:(SigmaStudioを操作し、再度コンパイル&ダウンロードを行う)…はい、できました。
――ADI:イコライザモジュールの波形アイコンをダブルクリックするとパラメータを指定するダイアログが開くので、フィルタの周波数やQ値を設定してみてください。
室長:それでは、中心周波数を400Hzに、Qを1.6にしてみます。
――ADI:ここでイコライザモジュールのスライダーを上下させると400Hz近辺の成分をリアルタイムに増やしたり減らしたりできます。
室長:(スライダーをマウスで操作)…本当ですね、音が変わりますね。
――ADI:サンプリング周期の間でパラメータを変更するので、SigmaStudio上でスライダーをいじっても変なノイズが出ないのも特徴なんです。また、今はパラメータを直接指定するやり方を試してもらいましたが、f特のカーブをマウスで操作してフィルタを設定することもできます。
室長:とても直感的でわかりやすいツールだと感じました。少し触っただけですので細かい評価はできませんが、モジュールの種類がたくさんあるのでツリーから探すのが大変そうかなと。難しそうなのはそのぐらいですね。
――ADI:実は私たちもモジュール探しでときどき苦労することがあります。貴重なご意見ありがとうございます。
室長:こちらこそありがとうございました。簡単に音作りができそうなので、機会があれば個人的にも遊んでみたいと思います。
APS EYE’S
ここ最近、音声を活用したアプリが増えている。不慣れなDSPではソフトを動かすのもままならない。そんな人には、SigmaDSPとSigmaStudioがいいと思う。DSPを備えたCPUもあるが、リアルタイム性と直感的な操作は、大幅な開発効率アップに応えてくれるだろう。
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