文具メーカーのキングジムは、卓上で名刺を管理・検索できるデジタル名刺ホルダー「メックル」MQ10を2014年7月に発売した。メックルは、読み取りスキャナー、名刺画像データベース、回転式ダイヤルによる名刺画像の管理・検索機能を備えた端末である。メイン・プロセッサとしてArm926EJ-Sコアを内蔵する台湾ヌヴォトン・テクノロジーの「N32916」を採用している。ここでは企画・開発にかかわった担当者に、製品化の経緯や、開発にあたって苦労した点などを聞いた。
ユニークなデザインの「デジタル名刺ホルダー」を開発
まず始めにキングジムの概要を教えてください。
キングジム安蒜:当社は、「テプラ」などの電子文具や、「キングファイル」に代表される事務用ファイルなどの事業を展開しています。電子文具については、1988年にラベルライターのテプラを発売しました。今年で25周年を迎えるロングセラーの製品です。最近、注力しているのは、「デジタル文具」と呼んでいる電子機器で、テキスト入力専用のデジタル端末「ポメラ」をはじめ、今回紹介する「メックル」など、さまざまな製品を開発しています。一方、ファイル文具については、大量の書類を収納・管理できるキングファイルを中心に、クリアーホルダーやクリアーファイルを発売しています。最近は「デジアナ文具」と銘打って、スマートフォンと組み合わせて使用するノート「ショットノート」を製品化しています。紙のノートに書いたメモをスマートフォンのカメラで撮影し、デジタル・データとして管理・共有します。こうした、アナログとデジタルの融合を目指した製品も展開しています。
今回、開発したのは、どのような製品ですか?
キングジム東山:デジタル名刺ホルダー「メックル」という製品を開発しました。これは名刺を管理するための、卓上据え置き型のデジタル端末です。外観やユーザーインタフェースのデザインは、名刺を差してダイヤルをぐるぐる回しながら検索する“回転式名刺ホルダー”をイメージしています。本体にスキャナー・モジュールを内蔵しており、名刺をスロットに差してボタンを押すと自動的に取り込まれ、スキャン画像が組み込みデータベースに登録されます。USBケーブルを介して、取り込んだ画像データをパソコンへ転送することもできます。メックルを開発しようとしたきっかけですが、当社の製品に「ピットレック」というモバイル型の名刺情報端末があります。付属のカメラで名刺を撮影し、その画像と、OCR(光学文字認識)でテキスト化した氏名と会社名の情報を登録する、という機器です。この製品の主なターゲットは、外出の多いビジネス・パーソンでした。一方、私は入社時から開発部門にいて、仕事はデスクワークが中心です。そのため、私個人について言うと、名刺情報端末にモバイル性はまったく必要ありませんでした。また、ピットレックにはOCRによるテキスト化の機能があるのですが、私にはそのデータをパソコンへ移して活用する機会がほとんどなく、またOCRの処理にかかる時間やテキスト変換後のデータを保守する手間が、ちょっと面倒に思えました。もっとシンプルで、簡単に卓上で使えるものが欲しいと思い、メックルを企画しました。
非常にユニークなユーザーインタフェースですが、もともと回転式名刺ホルダーのイメージがあったのでしょうか?
キングジム東山:最初は箱型など、さまざまな形状を検討していました。卓上には電卓や文房具など、いろいろなものが存在します。その中で、名刺に特化した機器だということを分かりやすく伝えるために、回転式名刺ホルダーをイメージしたデザインを採用しました。情報量については、片面のスキャンで約5,000枚の名刺を登録できます。今回、一番こだわった部分がダイヤルによる操作感です。直感的に分かりやすいダイヤルというユーザーインタフェースを採用し、ダイヤルの回転に対して素直に画面のアニメーションが反応する、という部分です。ダイヤルを回したときに、画面の中の名刺がカクカクとスライドするようでは、ユーザーに使ってもらえない、と思いました。アニメーションの速度や、ダイヤルのちょっとした動きに対するタイムラグを細かく調整しました。
ユーザーインタフェースの仕様書は、どのように作成したのでしょうか?
キングジム東山:仕様書はもちろん作りましたが、アニメーションの部分はなかなか仕様書では表現しにくいところなので、このあたりは組み込みソフトウェアの実装担当者といっしょに試行錯誤しながら仕様を詰めていきました。
キングジム八木:最初は、私たちが以前に採用したことのある別のメーカーのプロセッサを利用して評価しようとしたのですが、描画性能が足りず、今回のユーザーインタフェースに関する諸要求を満たせませんでした。そこで、要求されるアニメーションを高速に描画できるプロセッサを探して、最終的にOpenVG(2Dベクター・グラフィックスの標準API)のハードウェア・アクセラレータが入っているヌヴォトンテクノロジーの「N32916」にたどり着きました。
画像系アクセラレータを内蔵したメディア・プロセッサを採用
N32916は、どのようなプロセッサですか?
ウィンボンド小野:ヌヴォトンは、Arm926EJ-Sコアを搭載した「N329ファミリ」というメディア・プロセッサ製品を出荷しています。クロック周波数は200MHz~300MHzで、それほど高いわけではありません。CPUコアにかかる負荷を軽減するため、周辺機能として画像系のハードウェア・アクセラレータを搭載しているのが特徴です。メックルに採用されたN32916の場合、OpenVGの描画処理に加えて、H.264/MPEG-4/H.263やSorenson Spark、Motion JPEGのデコード処理、BitBLT処理も高速化できます。また、プロセッサのダイの上にDDR2 SDRAMのダイがスタックされている(MCP:Multi-Chip Package)のも大きな特徴です。これにより、プリント基板上の輻射ノイズの問題を軽減できます。また、ピン数が減ることでパッケージが小さくなり、プリント基板上の実装スペースおよび構成層数の低減に貢献します。
ウィンボンド ワギー:ヌヴォトンのプロセッサのほとんどは、0.18μmのCMOSプロセスで製造されています。これは、とても安定している、漏れ電流の少ないプロセスです。実績のプロセスとCPUアーキテクチャ、ソフトウェア資産をうまく組み合わせ、市場要求に従って適切な周辺機能と適切なインタフェースを選択して、できあがったのがN329ファミリです。
メックル以外には、どのような用途で使われているのでしょう?
ウィンボンド小野:例えば、米国の大手企業で最近製品化された、Wi-Fi HDホームモニターがあります。これはWi-Fiとインターネットを介して、スマートフォンやタブレット、パソコンへ映像や音声を送信するデザインとコストパフォーマンスの優れた製品です。さらに、台湾系企業でリリースされた製品では、Wi-Fiフラッシュ・ドライブがありますが、外観はやや大きめのUSBメモリに見えます。中にWi-Fiモジュールが実装されいて、挿入されたメモリカードに保存されている様々なデータを複数のスマートフォンやタブレットと共有が簡単にできるようになっています。
メックルの開発に際して、描画性能以外では、求められたスペックはありますか?
キングジム八木:USBのホスト機能とデバイス機能の両方が入っていることも重要でした。スキャナー・モジュールとの接続ではホスト機能、外部のパソコンとの接続ではデバイス機能が必要となります。使用したスキャナーのドライバがLinuxに対応していたので、今回OSはLinuxを使いたいと考えていました。そこで、プロセッサのBSP(Board Support Package)がLinuxをサポートしているかどうか、という点もチェックしました。また、キングジムの製品は、輻射ノイズに関するVCCI規格の認証を通す必要があります。以前の製品の開発で、輻射ノイズ対策に悩まされた経験がありました。今回採用したデバイスには、プロセッサのダイの上にDDR2 SDRAMのダイがスタックされているため、メモリ周りのノイズ対策が要りません。もし別デバイスのDDR2 SDRAMをプリント基板上に実装したとすると、基板設計の際に伝送線路シミュレーションの工程が発生し、余分な経費がかかっていたことでしょう。
ユーザーインタフェースを念入りに作り込む
ソフトウェアの開発は順調に進みましたか?
キングジム八木:担当者がソフトウェアの製作を始めたのは、昨年(2013年)の8月ごろでした。まず、表示用のプログラムを作りました。ヌヴォトンのプロセッサを使うのは初めてでしたし、組み込みLinuxを動かした経験も少なかったので、まずは基本的な部分のプログラムの作成とライブラリの整備に時間を費やしました。本格的にプログラムをまとめ始めたのは11月ごろです。コード量は約20kステップでした。当初は、ヌヴォトンが提供する評価ボードの上でソフトウェアを動かし、液晶ディスプレイの画面を見ながら何度もアニメーションやユーザーインタフェースの具合をチェックしました。ユーザーインタフェースは、いくら紙上で検討しても分かりません。こればかりは、実際に動かしてみないと…。
キングジム東山:実機を動かしてみて、初めて気づいたこともあります。ダイヤルを回す方向と、画面の中で名刺画像が上下にスライドする方向の対応が、人によって異なるのです。ユーザーの目線が名刺に行くと、ダイヤルに対して順方向にスライド表示したほうが自然に感じます。一方、目線が画面の右端にある「あ、か、さ、た、な、…」のインデックスに行くと、逆方向にスライド表示したほうが自然に感じます。試作機をいろいろな人に触ってもらって、そのことに気づき、結局、ダイヤルの回転方向を変更できるモードを追加しました。
ハードウェアの試作は何回くらい行ったのでしょうか?
キングジム八木:評価ボードによるユーザーインタフェースの検討後、プリント基板を作成しました。幸い、これは一発で動きました。プリント基板の設計で、一番ネックとなったのは、液晶ディスプレイとの接続部分です。この下にスキャナー・モジュールが入ることになるので、できるだけ厚みを減らしたい、ということで、液晶ディスプレイを基板の片面に直接貼り付ける構造になりました。こうなると、ほぼ片面にしか部品を実装できません。ノイズ対策なども考慮した結果、基板の層数は6層になりました。
特化した技術によるシナジー効果
初めてヌヴォトン社のデバイスを採用することに、不安を感じませんでしたか?
キングジム八木:今回の製品の開発を始めるまで、実はヌヴォトンという会社のことを知りませんでした。Armプロセッサというと、日系・外資系と多くの企業が提供する中で、あえて、ヌヴォトンの製品を選んだのは、国内では珍しいケースかもしれません。当初、台湾系のメーカーに対してあまり良い印象を持っておらず、正直、不安もありました。しかし、ヌヴォトン社にはしっかりとサポートしていただきました。また、コストパフォーマンスの面でも満足いく結果となりました。
今後の展開を教えてください。
キングジム安蒜:デジタル文具については今後も注力していきますが、基本的に“文具”であり続けたいと思っています。そのために、シンプルさや使い勝手の良さを追求していきます。それを実現する手段としてデジタル技術を活用し、製品を開発していきます。
ウィンボンド小野:今回のメックルは、両社にとってシナジー効果が発揮できた成功事例です。キングジム様の魅力的なコンセプトや想像力とヌヴォトン製品のポテンシャルによって生み出された製品だと感じています。今後も、お客様のポテンシャルを引き出す製品を提供していきますので、キングジム様をはじめ、多くのお客様およびアプリケーションに採用いただければ幸いです。
本日はどうもありがとうございました。
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