家電や産業機器で広く使われているブラシレスモータの省エネ化や静音化を実現するベクトル制御をハードウェアIP化した東芝の「ベクトルエンジン」が進化を続けている。同時に東芝は、マイコン単体の供給だけではなく、モータを回すという顧客の目的に沿ったソリューションとしての提供にも本腰を入れ始めた。モータ制御用マイコンの開発に携わる東芝マイクロエレクトロニクスの皆さんに話を聞いた。
集合写真(左より)
東芝マイクロエレクトロニクス株式会社 ミックスシグナルコントローラ統括部
モータソリューション技術部 主務 鈴木 信行 氏
モータソリューション技術部 部長 外山 浩昭 氏
ミックスシグナルコントローラ応用技術部 ミックスシグナルコントローラ応用技術第一担当 主務 廣里 暢盛 氏
ミックスシグナルコントローラ応用技術部 ミックスシグナルコントローラ応用技術第一担当 主務 丹羽 亮太 氏
目次
省エネや静音をもたらすベクトル制御 複雑な計算処理をハードIPに凝縮
――APS編集部はいろいろな取材先にお邪魔してマイコンに関するお話を伺うのですが、モータ制御なら東芝のマイコンがやはり強いよね、という評価をよく聞きます。
外山:ありがとうございます。東芝グループはモータ本体やモータコントローラ、ドライバICを長年にわたって手がけてきました。そうしたモータ制御に関するノウハウのうち、ベクトル制御に関する部分を「ベクトルエンジン」としてハードIP化し、2009年にリリースしたArm Cortex-Mベースの「TXファミリ」という32ビットマイコンに搭載したところ、家電系を中心とするお客様からご好評を博しています。
――ベクトルエンジンの誕生については2012年8月発行のAPSマガジンのVolume.5でも紹介していますが、そもそもベクトル制御とはどんなモノで、また、モータをベクトル制御によって回すことでどのようなメリットが生まれるのでしょう。
外山:ベクトル制御はブラシレスモータの回転を制御する方式のひとつです。原理や仕組みは一言ではとても説明しきれませんが、「モータに流す電流をトルク生成成分と磁束生成成分とに分けて、それぞれを独立に制御する」とでも言えるでしょうか。ちなみに数学では大きさと向きを持った量をベクトルと呼びますが、それと同じで、電流が大きさと向き(成分)とを持つためベクトル制御と呼ばれます。ベクトル制御のメリットとしては、モータを効率良く回せるため省エネが図れることや、回転(トルク)を滑らかに制御できるため振動や音の発生を抑えられることなどが挙げられ、たとえばエアコンの室外機であれば、冷媒を圧縮するコンプレッサーを、負荷に応じてきめ細かく、かつ、静かに制御できるようになります。
――先ほど省エネが図れるというお話がありましたが、1998年の改正省エネ法などへの対応義務がベクトル制御導入の動機のひとつになっているのでしょうか?
外山:国や地域の省エネ規制がベクトル制御に移行するトリガーのひとつになることはたしかだと思います。日本の家電製品はトップランナー方式によってすでに相当の省エネ化が進んでいますが、今後新興国でもそうした規制が導入されれば、輸出向け製品にもベクトル制御を導入しようという機運は高まるでしょうね。
――ベクトル制御を実現するにはベクトルエンジンのような仕掛けが要ると?
外山:いえ、三角関数などの計算処理は必要ですが、ソフトウェアでも実装できますし、実際にソフトウェアで組まれているお客様もまだ多いと思います。
鈴木:最近は産業系を中心に小型モータが使われる傾向が強くなってきているのですが、インダクタンス成分が小さいため、従来と同じ数KHz前後の低いPWM周波数で動かそうとすると駆動電流のリップルが大きくなってしまうという課題が指摘されています。小型モータのリップルを抑えるには50〜100KHzぐらいで制御したほうがいいのですが、ソフトウェアによる実装でPMW周波数を上げようとすると高性能なマイコンを積まなければなりません。その上、コストも上がりますしマイコンからの発熱も増えてしまいます。東芝のベクトルエンジンであれば最高で約10μsの周期で動かせますので、PWM周波数を50〜100KHz以上に上げても余裕があり、小さいモータを効率的に回すことができます。
外山:ちょうど転換期なんですよね。モータの駆動に使うパワー素子も高速化対応でき、低損失な製品もでてきました。これに伴いPWM周波数を高速化して効率を上げようとなったときにソフトウェアだと対応が難しい。そこで、東芝マイクロエレクトロニクスのマイコンを使っていただくとベクトルエンジンが非常に有効で、効率的に開発できますとご提案できます。
――ベクトルエンジンに対する顧客の反応はいかがですか?
廣里:4年ぐらい前は、ベクトル制御に取り組んでみたいというお客様は「面白そうだね」と言ってくださっていましたが、すでにソフトウェア等で実装しているお客様は「別に要らないよ」という感じでした。それがここ一年で流れが変わってきており、先ほども触れたようにソフトウェアだと制御周期をなかなか短くできない。そこで東芝のベクトルエンジン付きマイコンを検討してみようと。
ソリューションとして価値を提供 評価キットやソフトウェアのほか無料セミナーも開催
――現在のベクトルエンジンは東芝としては第三世代に相当すると聞いています。
外山:そうです。当初は共通的な演算をする部分のみをハードウェア化(エンジン化)して、自由度が必要な部分はマイコン側のソフトウェアで処理するように設計しましたが、市場に出してみると、さらにソフトウェアの一部をハードウェアに取り込んでも大丈夫ということがお客様の使い方から分かってきましたので、そのほかにもエンジンの機能をいろいろと見直して、初代の「ベクトルエンジン(VE)」から第二世代の「ベクトルエンジンプラス(VE+)」を経て、現在の「アドバンストベクトルエンジン(A-VE)」へと進化させてきました。
鈴木:これまでのベクトルエンジンでは条件によってはモータが止まってしまったり高速に回転させることが難しいといった課題があったのですが、アドバンストベクトルエンジンでは、より信頼性高く、かつ、高精度にモータを制御できるようにさまざまな改良を行っています。たとえば毎分800回転しか回せないモータがあったときに、誤って1000回転の指令を出してしまうとモータが壊れてしまうかもしれないので、リミッターをかけ、モータが止まらず駆動できる機能も搭載しています。
――マイコンのソフトウェアからはベクトルエンジンはどうやって使えばいいのでしょうか。
外山:ベクトルエンジンはベクトル制御に必要な三角関数などの演算処理を肩代わりする存在で、モータ電流などのAD変換が終了すると割り込みが発生します。たとえばPWM周波数が20KHzであれば、モータの回転角を示す電流情報がベクトルエンジンから50usごとに割り込みとして入ってくるので、ソフトウェアで位置を推定して速度を決めたのちベクトルエンジンを叩けば、あとは必要な電流値と電圧値を計算してPMDを介してモータを駆動してくれます(図1)。もちろんセンサーレスだけではなくて、エンコーダを使う場合やホールセンサーを使う場合など、さまざまな構成にも対応可能です。
――「ベクトル制御」という名前を聞いただけで難しそうという感じを受けてしまうのですが。
外山:モータ制御に取り組もうとするエンジニアのかたがマイコンのデータシートを開いた瞬間に閉じたくなるようではダメということはよく認識しています。そこで少しでもハードルを低くしようと、各種アプリケーションの開発がしやすくなるようなリファレンスボードやサンプルソフトウェアを提供して、まずは触っていただける環境を充実させていきます。その集大成のひとつといえるのがこの五百円玉サイズの評価ボードです(図2)。第二世代のベクトルエンジンプラスのほか、プリドライバや電流検出用オペアンプなどを5mm角のパッケージに搭載したCortex-M3ベースのマイコン「TMPM37AFSQG」を中心に構成しています。ここまで小さいとモータ本体に組み込むことも可能になってきますので、こういった形でデバイスだけではなくソリューションとしてお客様に提供していこうと考えています。
鈴木:このアクリルの箱(前ページ 集合写真参照)は展示会用に作ったデモシステムで、五百円玉サイズの評価ボードでファンを回してスチロール製のボールをパイプの中で浮かす単純な仕組みですが、お客様がボリュームを回して風量を調整できるようにしています。このようなところからまずは実感していただこうと考えています。
廣里:モータ制御を理論を含めて詳しく学びたいというお客様には、マイコンセミナーの一環として開催しているモータ制御セミナーをご紹介しています。「モータ制御入門」、「インバータモータ制御基礎」、「ベクトル制御」、「ステッピングモータ制御」という四つのコースを川崎と大阪で開催しています。またお客様のニーズに合わせてカスタマイズも可能ですので、ぜひ利用していただきたいと思います。
――APS実験室の室長(浦邉)がモータに関するそれぞれのセミナーを受講させていただいたのですが、モータに関しては、ほとんど基礎知識がない状態で臨みました。原理を中心に波形による確認やプログラムによる回転制御などを体験できたことで、非常に満足のようすでした。
外山:モータ制御の原理はある程度理解している方がいいのですが、深いところまで理解しないと東芝のマイコンが使えないという訳ではありません。東芝でご用意しているソリューションやサンプルコードで設計を効率化・省力化していただき、お客様は付加価値の作りこみに時間を注いでいただければと考えています。
65nmの新しいTXZマイコンを発表 ベクトルエンジンをさらに使いやすく
――東芝は「TXZファミリ」という新しいマイコンを発表しました。
丹羽:「TXZファミリ」は現行の「TXファミリ」を発展させたマイコンです。Cortex-M3ベースの「TXZ3シリーズ」を皮切りに、Cortex-M4Fベースの「TXZ4シリーズ」やCortex-M0ベースの「TXZ0シリーズ」を順次展開していきます。モータ制御用の品種がTXZ4シリーズの「M4Kグループ」となり、ベクトルエンジンのほかに、電流測定用のシャント抵抗を接続するオペアンプを内蔵しています。また、横河ディジタルコンピュータさんの「RAMScope(注:64pinの製品に実装されている)」用インタフェースを備えたのも大きな特徴です。モータ制御に関連するパラメータをRAM上に展開することで、モータを止めることなくパラメータをリアルタイムに確認することができます。この機能を使えば、効率良くモータ制御のソフト開発ができます。M4Kグループのサンプル出荷は、80MHz品は2016年10月頃に、160MHz品は2017年末頃に、それぞれ予定しています。
――TXZファミリのベクトルエンジンはTXファミリのベクトルエンジンと同じですか?
丹羽:基本的な機能は同じですが機能自体の強化が図られています。たとえばモータの電流検出用のA/Dコンバータを高速化して、TXファミリのおよそ4倍に相当する0.5μsという変換時間を実現し、よりきめ細かな電流制御を可能にしました。従来であれば2個のモータを回すためには100ピンクラスの品種が必要でしたが、TXZファミリでは64ピンパッケージ品で制御できるようにしています。この他にもさまざまな改良を行っています。
――もっとお話を伺いたいのですが時間もきましたので、最後に今後の展望を聞かせてください。
外山:ベクトルエンジンは現在、第三世代ですが、第四世代へと更に進化していきます。また、お客様が本来必要としている「モータを回す」という目的をできるだけ簡単に実現していただけるように、マイコン単体だけを提供するのではなくて、ソリューションの提供にも一層力を入れていきますので、ぜひご活用ください。
――ありがとうございました。
APS EYE’S
ベクトル制御は、モータを静かで滑らかに動かし、きめ細やかな電流制御に欠かせない技術だ。ソフトで制御も可能だが、CPUから複雑な演算をまるごと肩代わりしてくれるところに価値がある。ベクトルエンジンは、今後もさらに進化し続け、使いこなす人たちを増やしていくだろう。
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