100社あれば100通りのカスタマイズ要求が生まれるIoTビジネスの時代をリードするため、技術のソニーが掲げた戦略は、オープンコミュニティの最大活用。これまでに培った技術力を集約し、人工衛星などの極地環境にも対応できるIoT向けボードコンピュータ「SPRESENSE™」をリリース。ソフト/ハード/開発環境のすべてを備えたオープンプラットフォームでコミュニティを構築し、世界中の技術者を魅了し製品を昇華させる。これまでにない、まったく新しい形でIoTを成功へと導く、ソニーの掲げた新戦略に迫る。
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ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社 IoTソリューション事業部 統括部長 仲野 研一 氏(左から6番目)
ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社 IoTソリューション事業部 太田 義則 氏(左から5番目)
ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社 IoTソリューション事業部 統括課長 小泉 貴義 氏(左から3番目)
ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社 IoTソリューション事業部 早川 知伸 氏(左から4番目)
目次
世界中の技術者が製品を創る、オープンプラットフォームを採用
――Speresenseが生まれた背景、製品に込められた想い、成し遂げようとしているIoTビジネスの未来について、開発者の方々に話を伺いたいと思います。2018年7月31日に発売されたソニーのSpresense。発売開始から約1年が経ちましたが、市場の反応はいかがですか。
太田:Spresenseは低消費電力で高機能なプロセッサを搭載した、オープンプラットフォームのIoT向けボードコンピュータです。B2Cで展開し、現在、Spresense User Groupなどのコミュニティも立ち上がり、SNSなどで多くの作品例が公開されるようになりました。まだまだ足りない部分はありますが、Spresenseという名前は着実に浸透してきたと感じています。
仲野:Spresenseでの我々のチャレンジは、ソニーの技術を集約したデバイスに対して市場がどんな反応をしてくれるだろう、というところから始まりました。ソニーの技術力を肌で感じていただき、興味を持った方が集まったコミュニティに製品を育ててもらうサイクルを作りたい。そこで、あえてB2Cのマーケットで、Spresenseを展開しました。
――ビジネスにも活用されていますか。
太田:Spresenseのユーザーの中には、相当数のビジネスユーザーが含まれているように感じます。商品を出すには時間がかかりますので、今のところ実際に商品を販売しているのは1社ですが、これから下期に向けて増えて行くと見ています。というのも、2019年に入ってから商品化を意識した専門的で具体的な質問が増えているからです。
――どのような質問がありましたか。
太田:最近特に多いのは、消費電力削減に関する質問です。スリープモードで数μAまで待機電力を下げるにはどうしたらいいかという質問もありました。出荷時のSpresenseボードは、安全のための保護部品をいくつか搭載しており、これらの部品が数十μA程度消費しています。これらを取り外すことで待機電力を削減できることをお伝えしました。実際の商品化を考えて、はじめて生まれてくる質問だと思います。
――ビジネスユーザーはSpresenseのどの機能に興味を持って評価をはじめるのでしょうか。
太田:アプリケーションによって様々ですね。例えば、GPSを使ったアプリケーションを開発する方から見ると、Spresenseは内蔵GPSモジュールにより、単体で位置情報をデコード可能で、さらには生成した位置情報をCPU上のプログラムにより、解析できる高機能なプラットフォームです。他にも、可聴音域のアコースティック・エミッション(AE)への活用など、オーディオ機能に興味を持ち、使い始めるお客様もいらっしゃいます。
――SpresenseはArm® Cortex®-M4を6コア統合したマルチコア構成も大きな特徴ですね。
太田:その通りです。Spresenseのマルチコアは音声処理や画像解析にかなりの威力を発揮します。組み込みAIも実行できます。収集した情報をリアルタイムに分析し、特徴を抽出するエッジコンピューティングの用途を中心に多くのお客様がマルチコアを活用されています。それぞれのお客様が目指すアプリケーションは異なりますが、すべての機能を支えているのは、マルチコアによって実現される高い演算処理性能です。
――Spresenseの特徴であるオープンプラットフォーム、ソフトウェアだけでなくハードウェアまでオープンにしている製品は珍しいと思います。ユーザーからの反応はいかがですか。
太田:オープンプラットフォームの場合、お客様は我々に質問しなくても技術情報を入手できるため、反応を捉えることは容易ではありません。ただ、我々が思っている以上にお客様は技術情報へアクセスしているようです。現在Spresenseに関する質問は、技術者の集まるオープンな掲示板「スタック・オーバーフロー」にて受け付けていますが、質問に対してソニーがオフィシャルな回答を準備する前に、お客様同士で疑問点を解消されるケースが増えています。既にSpresenseを使いこなしているお客様が、我々以上の回答を書き込んでくれるようになりました。コミュニティへの参加人数もどんどん増えています。
――日本企業は、サポート体制や日本語資料の有無を1つのハードルとして採用を検討していることも多いと思います。一方でSpresenseはこうした流れとは真逆の売り方でビジネスを展開していると感じます。日本企業の反応はいかがですか。
仲野:我々が想定しているビジネスユーザーは、これまでのマイコンユーザーと目的が違います。旧来のマイコンユーザーはベンダーの製品を手に取るとき、既にユースケースが決まっています。こんな商品を作りたいのでメモリサイズと処理性能はこの程度だから、ラインナップの中でフィットするのはこのマイコンだろうという選定方法です。これに対して、Spresenseをはじめ、ArduinoやRaspberry Piなどのオープンプラットフォームのユーザーは、このデバイスを使ったら、どんな面白い商品を作れるかというチャレンジからベンダーの製品を使い始めます。そのため我々の製品もスムーズに導入いただけているようです。また、ハードウェア拡張ボードの提供に参加いただけるサードパーティも増えています。Spresenseは一般的なボードと形も大きさも違うため、拡張ボードも専用形状にする必要があり、発売当初はボードを一緒に作ろうと言ってくれる企業を探すのに苦労しました。ですが、今では躊躇無く開発いただけるようになりました。Spresenseが市場に受け入れられている証拠だと思います。
――IoTビジネスを推進する上で、オープンプラットフォームにはどのような魅力がありますか。
仲野:Spresenseは、その高い処理性能から様々なサービスのエッジデバイスとして活躍できるポテンシャルを秘めています。我々が想定しているお客様の数は、1、2社でなく、100社以上の規模です。一方で、IoTビジネスではお客様が開発される商品毎にカスタマイズ要求が生まれます。もしSpresenseがクローズド・プラットフォームの場合、ソニーは大量のサポート人員を確保し、そのコストを請求しなければならず、お客様の開発費が商品売価よりも高くなる悪循環に陥ります。ソフトウェアもハードウェアも全てオープンにすることにより、お客様は相当高いレベルまで無償で開発することができます。IoTビジネスにおける経営層やマネジメント層の懸念を払拭する意味でもオープンプラットフォームは魅力的です。
――販売価格に対する反応はいかがですか。
早川:競合製品より高く見えますが、お客様からは、6個のマイコンにオーディオ機能など様々な機能が集約されたシステムと考えれば、実は安いんじゃないかという嬉しいご意見を多数いただいています。大学の研究室に行っても、基本的に高いと言われたことはありませんし、ビジネスへ活用されるお客様にも、安いデバイスだと好評です。
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JAXAの過酷な試験もクリア、極地にも採用できる高いロバスト性
――ビジネスユーザーへまだ十分に伝えきれていない魅力を教えてください。
太田:Spresenseの良さは低消費電力であり、高いロバスト性を備えていることです。現在、JAXA様と人工衛星のコントローラにSpresenseを採用できるか(革新的衛星技術実証2号機)という評価を進め、評価を通してSpresenseが-20℃でも安定して動作することや、1000Gという激しい衝撃試験にもクリアできることを確認することができました。JAXA様との連携により実証された高いロバスト性を、他のビジネスユーザーにも知っていただきたいと考えています。
――旧来の製品はロバスト性についてどのような課題があったのでしょうか。
太田:Raspberry PiをはじめとするSoCを使ったソリューションには熱の問題があります。デバイスは熱によって劣化しますので、消費電力が大きく、発熱の高いSoCはロバスト性の達成が困難です。また、これまでの製品はSDカードをベースとしたものが多く、SDカードは破損しやすいため、連動して製品寿命も短くなってしまうという課題もありました。
――高いロバスト性を達成するために、ソニーがSpresenseに採用している技術を教えてください。
仲野:低消費電力を実現するために採用したFD-SOIという半導体技術により、高いロバスト性を達成することができました。FD-SOIは半導体ウェハの上に薄膜(酸化膜)を形成し、その上に回路を積層することで、安定したトランジスタを最先端のプロセス(Spresenseはマイコン製品では珍しい28nmプロセスを採用)で製造する技術です。リーク電流の低減や、動作電圧の低減により低消費電力化に大きく貢献します。Spresenseでは低消費電力を追求するためにFD-SOIを採用しましたが、実はFD-SOIには宇宙線(放射線)にも高い耐性を発揮するという側面もあり、結果として人工衛星にも採用いただける高いロバスト性を達成することができました。
早川:高い放射線耐性により、加速器学会の方にも評価をいただくことができました。ディープな技術分野への採用は、今後も増えると感じています。
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Visual Studio Codeにも対応、NuttXを採用したSpresense SDK
――発売後も注力していることはなんですか。
小泉:開発環境に尽きますね。元々、ソニーのマイコンは社内向けの製品だったので、ニーズが最初から明確で使われ方も限定されており、開発環境に多少の制約を設けていました。ですが、SpresenseはB2Cに展開して多くの方々にさまざまな用途へ活用してもらおうという製品ですので、使い勝手が非常に重要となります。また、制約は積極的に解消しなければなりません。日々、お客様の声を聞きながら開発環境の設計にフィードバックし、改良を重ねています。
――どのような開発環境を提供していますか。
小泉:Arduino IDEを使ってソフトウェアを開発できる環境(以下、Arduino環境)と、ソニーが独自開発したSpresense SDK環境(以下、SDK環境)を提供しています(図1)。Arduino環境は開発の入り口として最適な開発環境で、Spresenseの備える様々な機能を手早く繋ぎ合わせて、簡単に試作を作ることができます。SDK環境は商品化に向けたディープな開発に対応できるオープンな開発環境で、試作したサービスを最適化し製品レベルに仕上げることができます。この二段構えの開発環境により、我々は日々高度化するお客様の要求に応えています。
――SDK環境を利用するメリットを教えてください。
太田:SDK環境を使うメリットのひとつは、NuttXを利用できることです。NuttXはPOSIXインタフェースに準拠したLinuxライクなRTOSです。ここ最近はLinuxを使っているお客様も多くなっていますので、開発しやすい環境だと思います。
小泉:従来のRTOSはスケジューラ、割り込みハンドラ、メモリアロケータのみをOSが管理し、デバイスドライバのインタフェースはOSの管理外でした。そのため、デバイスドライバのインタフェースは一貫性が保証されず、インタフェースを呼び出すアプリケーションも再利用しにくいという欠点がありました。NuttXは、アプリケーションに対して抽象化したデバイスのインタフェースを提供することで、デバイス依存の処理とアプリケーションの処理を綺麗に分離します。お客様は使い慣れたPOSIXインタフェースを使うだけで、デバイス依存の少ないユーザーアプリケーションを実装できますし、既存の開発資産を簡単に取り込むことができます。さらには、他のNuttXユーザーが開発したデバイスドライバを利用し、様々なハードウェアを手軽に試すことも可能です。
早川:民間で人工衛星を飛ばすQSATというプロジェクトのミッションコントローラにもNuttXが採用されています。また将来的にNuttXを次世代のROSとして利用しようという動きもあります。
――開発環境についての今後の計画は。
小泉:この一年でArduino環境はおおよそ固まりましたので、今後はSDK環境の改良に取り組んでいきます。発売当初のSDK環境にはLinuxのみサポートするという制約がありましたが、現在はWindows/macOSにも対応しました。今後はGUIを使って快適に開発ができるようVisual Studio Codeをベースとした開発環境を展開していきます。VSCodeは統合開発環境の人気投票でも圧倒的な1位を誇り、以前から強い要望がありました。海外ではArduinoもVSCodeで開発する方がいらっしゃいます。VSCodeのコード補完機能が非常に開発効率を高めてくれる、と。アプリケーション開発とRTOSのコンフィグレーションをシームレスに行う機能や、ICEデバッガとの連携機能などを盛り込み、これまで以上に使いやすい開発環境を提供します。我々が開発環境をきっちり整備し、ソニーの技術をお客様に活用いただき、いずれは開発環境自体もコミュニティで育てたいと考えています。
早川:サンプルアプリケーションも順次拡充していきます。現在、NuttXのMIDIドライバを使ったキーボードアプリケーションなどを開発しています(図2)。是非ご期待ください。
――通信機能に関する計画を教えてください。
早川:BLEとWi-Fiに加えて、今後は広域通信可能なLTE-M、Sigfox、LoRaといったLPWA規格も使えるようになる予定です。さらにELTRES、LTE Cat.1なども展開していきます。工場などで人気の高い有線LANの拡張ボードも計画されており、2019年中に、より多くの通信規格が使えるようになる予定です。山の中や海の上など、様々な場所のIoTエッジにSpresenseを活用できるようになっていきます(図3)。
――クラウドとも連携できますか。
太田: 米国IBMと共同でWatsonと連携したシステムを発表しましたが、他のクラウドベンダーとも話を進めています。IoTはエッジ単体では価値がなく、サービスに繋がって初めて価値が生まれます。IoTサービスは非常に幅が広いため、ソニーは分け隔てなく、大企業はもとより、チャレンジ精神溢れる中小企業やベンチャー企業の方々とも連携したいと考えています。
――IoTに向けた、ソニーの想いとは。
太田:Spresenseによるエッジコンピューティングを活用することにより、大切な個人情報をエッジで閉じることのできるセキュアな社会を実現できます。またSpresenseの低消費電力により送電網の縛りがないIoTエッジを構築できるため、どこにでも配置可能になります。ソニーは、環境にやさしく、安全で、住みやすい世界の実現に貢献していきたいと考えています。
APS EYE’S
ソニーには、B2Bのパートナーを成功へ導く高い理念がある。ソニーのこだわりは、超低消費電力、高いロバスト性、高機能なボードコンピュータに凝縮された「技術力」はもちろんのこと、IoT(Internet-Of-Things)の根幹となる、あらゆるネットワークへの対応、クラウドサービスベンダーとの連携などの「トータル・エコシステム」の醸成にある。こうした魅力に興味を持ち、集まったユーザーがオープンコミュニティを立ち上げサポートを活性化、次の商品アイデアを創り、SPRESENSEをさらに昇華させる。有償が前提のビジネスと、無償が前提のオープンコミュニティやオープンプラットフォームの融合に挑戦するソニーの新戦略。IoT成功の波に乗るタイミングは、今だ。
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