計測機器メーカーの渡辺電機工業(以下、WEI)は、時間量の測定に使う信号変換器製品の開発にアナログ・デバイセズ(以下、ADI)のDSP(デジタル信号処理プロセッサ)「Blackfin」を採用した。従来機種ではFPGAを採用し信号処理を行っていたが、これを安価なDSPに置き換えて部品コストを削減した。また、DSPと低速の汎用マイコンを組み合わせることにより、システムの拡張性や信号処理プログラムの再利用性を高めることができた。今回の手法は、高速かつ高分解能が要求される今後の計測機器開発にも有効だという。
集合写真(左より)
株式会社マクニカ テクスター カンパニー 第1統括部 SBU1 第1部 PS1課 竹内 崇道 氏
株式会社エルセナ 技術2部 FAE課 主任技師 阿部 博樹 氏
渡辺電機工業株式会社 コンポーネント事業部 技術部 開発グループ 小林 佑輔 氏
渡辺電機工業株式会社 コンポーネント事業部 技術部 部長 品田 弘之 氏
アナログ・デバイセズ株式会社 リージョナルマーケティング&チャンネルグループ セントラル・アプリケーションズ アプリケーションエンジニア 祖父江 達也 氏
アナログ・デバイセズ株式会社 リージョナルマーケティング&チャンネルグループ マーケティングマネージャー 高松 創 氏
センサー、高速ADC、DSPで時間量を計測
――どのような製品にDSPを搭載したのでしょう?
品田(WEI):渡辺電機工業は主に3つの事業を行っています。自動車ヘッドライトの検査に用いられる自動車検査機器事業、電力監視を中心とする計測システム製品事業、そして製造ラインの状態監視などの計測コンポーネント製品事業です。今回DSPを採用したのは、計測コンポーネント製品事業の信号変換器の製品です。
小林(WEI):信号変換器は温度や圧力、流量などの物理量を電気信号に変換するモジュールですが、ここでは時間量を測定するための信号変換器にDSPを搭載しました。例えば、光や音波などが反射して戻ってくるまでの時間を測定すれば、距離や間にある物体の特性が分かります。今回の機器では、DSPがセンサーに制御信号を送り、センサーから戻ってきたアナログの計測信号を高速ADコンバータでサンプリングします。送出した信号とADコンバータで取得した信号をDSPの演算処理で解析して、時間量を算出しています。
高松(ADI):私どもの事業も同じ領域にフォーカスしています。センサーで取得したアナログ信号をデジタルのデータに変換して活用するためのデバイスを開発しています。アナログ・デバイセズは創業50周年を迎えますが、こうした計測やセンシングの分野はアナログ・デバイセズが創業当初から取り組み、今も進化を続けている技術領域の一つです。
――信号変換器の開発には、どのような要求がありますか?
小林:信号変換器は産業用途ではかなりポピュラーな機器で、技術的には“やり尽くされた感”のある領域です。ただし今回の製品は、特殊な場所、特殊な状況で使用されるもので、技術的にまだまだ改善の余地がありました。そのため、従来機種に対して、コスト面や性能面で優位性を高めた新規提案が求められており、加えてさまざまな計測環境において安定的に計測できる能力も要求されました。
――使用したDSPの概要を教えてください。
祖父江(ADI):アナログ・デバイセズのADSP-BF592を採用していただきました。これはBlackfinアーキテクチャを採用した信号処理プロセッサです。BF592は、「高い信号処理性能をローコストで利用できる」というコンセプトで開発されました。製品発表時には200MHz動作品の価格が1.99ドル(米国における1,000個購入時の単価)とアナウンスされており、2ドルを切る価格でDSPによる高速な信号処理機能を利用できることが大きな特徴となっています。なお、今回は400MHz動作のコアを搭載した製品を採用していただきました。
――センサー・アプリケーション向けの機能はありますか?
祖父江:外部インタフェースとして、パラレルポートとシリアルポートの両方を備えています。シリアルポートについては、一般的なSPIやUARTのほか、用途に応じてユーザーがレジスタベースでコンフィグレーションして使えるSPORTというインタフェースも装備しています。さらに、BF592には消費電力が少ないという特徴があります。
――汎用マイコンとDSPの違いは?
祖父江:Blackfinシリーズ自体は12年ほど前に発表されたDSPで、ディジタル信号処理とシステム制御を一つのコアで実行可能なプロセッサ・アーキテクチャとして登場しました。積和演算命令を含め、信号処理で使われる命令を1クロックで実行できます。さらに、命令や演算中のデータの出し入れを高速にするため、ハーバード・アーキテクチャを採用しています。これは命令バスとデータ・バスを独立に配し、メモリアクセスに伴う通信ボトルネックが発生しないようにする方式です。また、Blackfinのプログラムは基本的にC言語で開発できます。マイコンと同じように周辺機能がレジスタとして見えるので、中の細かい動作に配慮する必要はありません。Blackfinは、バッテリーで動作するようなポータブル機器やプロ用のオーディオ機器などに採用されています。
低速マイコンと組み合わせて拡張性や再利用性を向上
――Blackfinを採用した経緯を教えてください。
小林:従来機種は、高速ADコンバータとFPGA、高速マイコンを並べて、信号処理を行っていました。FPGAを使うとどうしてもコスト高となります。そこで、これをDSPに置き換える、というところから検討を始めました。ただし、私たちはDSPを一度も使ったことがなかったので、最初は手探り状態でした。今回の機器に必要なAD変換の速度は数十Mサンプル/秒です。例えば12ビットを数十Mサンプル/秒で取得しようとすると、数百MHz動作のデバイスが必要です。また、パラレルの入力ポートがないと使いものになりません。さらに、出力側にも、アナログ出力やパルス出力、アラーム出力などのインタフェースが必要です。当初は、1チップのDSPでこれらすべてに対応することを考えていました。しかし、高機能なプロセッサの場合、使う側にとって不要な周辺機能が含まれる場合が多く、外形寸法も大きくなりがちです。400MHz以上の動作クロックで今回必要な機能を備えるDSPを探したのですが、コスト的に見合うものは見当たりませんでした。
――DSPによる処理をあきらめたのですか?
小林:いえ、DSPの後段に低速の汎用マイコンを接続し、出力側の制御をこちらにまかせることを考えました。その上で、あらためて最小限かつ必要十分な機能を備えたDSPがないか探したところ、前機種の開発などで取引のあったアナログ・デバイセズのBF592にたどりつきました。部品単価は、400MHz動作の他の高機能なDSPと比べて半額に近いものであり、外付けの低速マイコンを含めても、圧倒的な低コストを実現できました。
竹内(マクニカ):渡辺電機工業様とおつきあいさせていただいたのは一つ前の機種からで、そのときはアナログアンプやADコンバータが中心でした。その繋がりで、次のプロジェクトでDSPを使いたいというお話しをいただき、グループ企業のエルセナでDSPを担当する阿部と相談しながらサポートさせていただきました。
――コスト以外に、DSPを採用して良かった点はありますか?
小林:「DSP+低速マイコン」のシステム構成には、出力側の機器が変更になった場合でも、DSPまわりの回路やその上で動作するプログラムをほとんど変更する必要がないという利点があります。仕様変更にかかわる部分を後段の低速マイコンで吸収できるので、システムの拡張性や信号処理プログラムの再利用性を高めることができました。また、DSPはROMを内蔵していないことが多いのですが、今回は、DSPのブートプログラムを低速マイコンの内蔵フラッシュROMに格納することで、外付けのブートROMを削ることができました。センサーにつながるADコンバータのサンプリング速度はDSPで制御できます。そこで通常はデータを間引き、必要なところだけサンプリング速度を引き上げ、必要最小限のデータをSRAM上に展開しています。FPGAを使っていたときと比べると、実際に解析しているデータ量は圧倒的に少なくなっています。
全体最適化を考慮する設計で力を発揮するDSP
――DSPの評価や開発に時間はかかりましたか?
小林:2014年4月頃に構想の検討に入り、5~6月までにはシステム構成の見通しが立ちました。納期的な制限もあったので、ある程度行けそうだという目処が立った時点で試作ボード(デバッグボード)の開発に着手しました。並行してアナログ・デバイセズが提供しているBP592評価ボードを使って動作を確認し、6~7月には完成した試作ボードの上で基本的な入力回路が動作するところまでいきました。
――苦労したところはありましたか?
小林:コスト、性能、消費電力など、当初の目標をほぼ達成でき、DSPの採用が原因で開発が停滞するということはほとんどありませんでした。アナログ・デバイセズ社が提供するソフトウェア開発環境「CCES」についてのちょっとした相談や確認はありましたが、だいたい開示されている資料で、スムーズに作業を進めることができました。ただ、PPI(パラレルポートのインタフェース) の理解不足で、少々とまどったところはありました。今回の計測時間の必要分解能は数十psのオーダで、計測値にはクロックのジッタ(ノイズ)が乗ってきます。例えば、400MHz動作で1クロックずれると最大2.5nsのずれになり、これは目標分解能の10~100倍の誤差につながります。この部分について、試作ボード上で思い通りに動作せず、エルセナさんに相談しました。エルセナさんにはBF592評価ボードを使ってほぼ同じ環境を整えてもらい、こちらで作成したテストコードによる精査を行っていただきました。その結果、なんとか要求性能を満たす仕組みを実現できました。これがうまくいかなかったり、解決に時間がかかりすぎたりしていたら、今回の採用はなかったと思います。
阿部(エルセナ):エルセナは、多数の技術サポートメンバーを抱えている点を強みとしています。今回のお話しをいただいたときも、最も鍵になるのはADコンバータからの信号を受け取るPPIの部分だろうと考えていました。過去にもPPIの部分で技術サポートの経験があったので、早期にエルセナでの実証実験の結果を資料としてまとめて渡辺電機工業様へフィードバックすることができました。
――今後の展開を教えてください。
小林:一番直近の展開はマルチチャネルへの対応です。複数のセンサーおよびADコンバータからの入力をアナログスイッチで切り替え、一つのBF592で解析処理できるようにします。また、信号変換器に繋がる出力側の機器の構成が変わると出力インタフェースの仕様変更が発生しますが、このような変更にも対応していきます。
品田:今回の案件は、オシロスコープの波形が信用できない高速・高精度の領域のシステム開発です。その中で、ADコンバータとDSPの組み合わせにより、ノイズに埋もれた状態でも信号を正しく取り出せたことに感動しています。もちろんこれはADコンバータの実力によるものなのですが、その背景には正しいタイミングでAD変換を制御するDSPの働きがあります。今回のノウハウは、今後の高速・高分解能の製品の開発にも活かせると思っています。
祖父江:Blackfinシリーズについて、性能、コスト、消費電力のバランスのよい製品を提供していくという方針は、今後も変わりません。2014年には、新世代のコアを持つ最新のBlackfinプロセッサ「ADSP-70x」ファミリも発表しました。また「ADSP-BF60x」ファミリのように、デュアルコア搭載の高性能な品種も用意しています。その一方で、今回採用していただいたBF592のような、シンプルでコストパフォーマンスに優れた品も提供しています。
高松:FPGAの品種を変えたり、マイコンを高速にしたりと、いわゆる部分最適化で新規の機種を開発するのも一つの方法です。しかし、現実のプロジェクトでは多くの設計制約とコストのバランスをとることが求められます。渡辺電機工業様の今回の案件では、さまざまな設計上の工夫を凝らしてシステムの全体最適化を実現されました。アナログ・デバイセズのDSPは、まさにこのような局面で力を発揮できるデバイスだと思っています。アナログ・デバイセズは現在、“Ahead of What’s Possible”という指針を掲げていますが、今後もお客様の可能性を広げる一歩先のソリューションを提供することに注力していきます。
APS EYE’S
システム性能を落とすことなく、コスト・サイズ・省電力・熱などの課題をすべて解決するのは難しい。DSPとマイコンの境界線が薄らいでいる中、渡辺電機工業はADIのアナログ技術とマイコンのような使い勝手のDSPを組み合わせたことで、FPGAからの置き換えに成功した。
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