多くの組み込みシステムが高機能化や複雑化するなか、SoC(System-on-a-chip)などのカスタムチップの搭載が進んでいる。しかしいくらSoCを搭載しても、その上で動作するソフトウエアによっては思ったような性能を得られないことが多い。SoCというハードウエアと、ドライバやミドルウエア、アプリケーションなどソフトウエアの両輪が揃ってはじめて競争力ある製品を開発することができるからだ。Mentor Graphicsは、EDA(Electronic Design Automation)ベンダながら、早くから組み込みソフトウエア業界に参入しており、Armアーキテクチャへの造詣も深い。ここでは、ハードウエア開発ツールとソフトウエア開発ツールをワンストップで提供するMentor Graphicsの魅力を聞いた。
目次
全体をアーキテクトできる人材の不足
組み込みシステムは、高度化、複雑化が進む一方、短期開発や低コスト開発などが要求されるなど、その開発環境は困難さを増している。従来、組み込みシステムは、ハードウエアとしてマイコンやDSP(Digital Signal Processing)などの汎用的なチップを搭載し、多くの処理をソフトウエアで行うものが多かったが、システムの高度化や複雑化が進むにつれ、ASIC(Application Specific Integrated Circuit)やSoCなどのカスタムチップへのニーズが高まってきている。
しかし、SoCなどの開発には、多くのリスクが潜んでいる。特に限られた消費電力で高い性能を得るためのマルチコア化が進んでいるなか、性能解析の役割が重要になってきている。ある調査によると、2010年の組み込みシステムでの平均的な使用コア数は、1.9個とマルチコア化が着実に進んできている。処理を分散化でき、クロック数を上げなくても必要な処理が行えることで、システム全体の低消費電力化を図れるからだ。
「最適なパワーやコストなどを得られる最適化設計をしっかり行わないと、工程が進んでから大きな手戻りが発生する恐れがあります」(牧野氏)。この手戻りは、大きなコスト負担をはじめ納期の遅れをもたらす。短期開発や開発コストの低減が求められるなか、プロジェクトそのものの行く末を危うくする要因ともなりかねない。そこまでいかなくても、ハードウエアのバグをソフトウエアで吸収するといったことは日常的に行われていることだ。「理想的には、ハードウエアはバグレスで開発しないとダメです」(牧野氏)。
「ハードウエア設計者とソフトウエア設計者が、うまく連携を取りながら開発することが大切ですが、全体をアーキテクトできる人材が不足しているのが現状です」(三橋氏)という。Mentor Graphicsは、ハードウエアとソフトウエアのツールを提供しており、組み込みシステム開発をワンストップでサポートしている。
どう作るかから「何を創るか」の時代へ
牧野氏は、大きな手戻りになる要因として、①期待する動作ができていないこと、②基本的な機能や性能がでないこと、などが挙げられるという。①の期待する動作ができていないことは、いわゆるバグであることが多い。前述のようにハードウエアのバグは大きな手戻りの要因になる。②の基本的な機能や性能がでない要因はいくつかあるが、バス設計の不備もよくあることだろう。バス幅を広くすればスループットは向上するが、その一方でダイサイズ(チップ面積)が大きくなってしまう。ダイサイズはコストに直結するため、できるだけ小さくしたい。スループットとコストという相反する課題の最適化を図ることが求められる。
また、製品の差異化を図るための機能を搭載することもポイントとなる。「ネットワークに繋がるなどの基本的な機能は搭載して当たり前ですが、搭載したアプリケーションをいかにうまく快適に動作させるかも大切となります」(三橋氏)という。「一般的に日本のメーカーは、どう作るかは得意なのですが、何を創るかは弱いことが多いようです。システムが大規模化するなか、職人芸的な勘に頼る開発では、それらに対応することが難しくなってきています」(牧野氏)。
Mentor Graphicsでは、ESL(Electronic System Level)ソリューションのVista Architect、機能検証ソリューションのQuestaといった多くのツールを提供している。そのなかで今回はVista Architectを見てみよう。
より抽象度の高い設計ができるVista Architect
Vista Architectは、TLM(Transaction Level Modeling)2.0ベースのアーキテクチャ設計/解析/検証ソリューションであり、システムが実現可能か否かを見定めることができるものだ。半導体開発は、回路図をCAD(Computer Aided Design)ツールなどで描いて作成する方式から、ソフトウエアの様にプログラミングで開発を行うトップダウン方式へと移行した。そこで用いられたのが、VHDLやVerilogなどのHDL(Hardware Description Language)である。HDLによってRTL(Register Transfer Level)と呼ぶ論理回路を記述し、論理合成ツールで論理回路を生成していた。
TLMとは、RTLより抽象度の高いレベルの記述ができるものである。より抽象度を上げた上流設計により、少ない記述量で済むなど効率的な設計が可能となる。このレベルの設計環境をESLと呼ぶ。TLMによる標準化が行われる前は、モデル間の互換性がなかったことから、モデル開発のコストを吸収することが難しかった。
ESL言語として、SystemC、SystemVerilog、SpecCなどがある。各言語はそれぞれ特長を持っているが近年はSystemCユーザが増えている。SystemCは、C++のクラスライブラリであり、ソフトウエア設計者にも馴染みやすい。SystemCは、RTLレベルの記述も可能であるが、より上流のTLMレベルの記述もできる。すなわち、レジスタ間のタイミングを考慮せず、アーキテクチャ設計に専念できるというわけだ。
ソフトウエアの先行開発とパフォーマンス解析が並行してできる
「Vista Architectの目的として、ソフトウエアの先行開発と性能解析が挙げられます」(牧野氏)という。従来ソフトウエアは、サンプルチップが完成するまで待たされることが多かった。そのサンプルチップにハードウエアのバグが見つかった場合、前述のように大きな手戻りの要因になってしまう。「特にマルチコアが進んだ現在では、より早期のソフトウエア開発や性能解析が求められます」(三橋氏)というように、ハードウエアとソフトウエアの双方でのデバッグやチューニングが課題となる。
市販のマイコンではシミュレーション環境を利用できるが、カスタムチップだとそうはいかない。そこで求められるのが、高速なハードウエア・シミュレーション環境だ。以前はHDLモデルを用いていたことから、現実的な速度での検証はできなかった。Vista Architectは、前述のとおり、TLM 2.0ベースのアーキテクチャ設計/解析/検証ソリューション環境であり、より上流での高速な検証が可能となる。SoCにおけるドライバ周りなど、よりハードウエアに近いソフトウエアをシミュレータで開発するには、高速のモデルが必須となる。Vista Architectは、そのためのツールである。
高速化のためには、モデルの抽象度を上げることがポイントだろう。「よくC設計といわれますが、Cは抽象度を上げるための手段であり、はじめからCありきではありません」(牧野氏)。システムの性能は、バス帯域やバスへ繋がるモデルなどによって変わってしまう。Vista Architectは、これらのタイミングを中心とした性能解析ができる。
TLM 2.0には、LT(Loosely Timed)とAT(Approximately Times)と呼ぶ2つのタイミングモードがある。LTはタイミング精度が粗く、ATはタイミング精度が比較的細かいモードであり、ソフトウエア先行開発にはLTを用い、性能解析にはATを用いる。
「Vista Architectは、LTとATを動的に切り替えることができます。これにより、OSをブートするまでLTで高速に走らせ、その後ATに切り替えて、詳細な性能解析をするなど、効率的なソフトウエア開発環境を実現できます」(牧野氏)。LTとATを動的に切り替えられるツールは、Vista Architectだけだという。「LTを効果的に用いることでソフトウエアのチューニングも先行して実施できます」(三橋氏)という。
豊富な組み込みソフトウエア開発ソリューションを持つ
次にMentor Graphicsの組み込みソフトウエア開発ソリューションを見てみよう。Mentor Graphicsは、1995年にリアルタイムOS(RTOS)のVRTXやMicrotecコンパイラ、XRAYデバッガなど持っていたマイクロテックリサーチを買収したのを皮切りに、組み込みソフトウエア業界へ参入した。Mentor Graphics本体としても、すでに17年の実績を持つことになる。
その後2002年には、携帯電話など多くのデバイスへの搭載実績があるNucleus RTOSなどを持ったアクセラレイテッド・テクノロジーを買収した。「Nucleus RTOSは、ロイヤリティ不要、世界的なサポート体制も備えているなど多くの特長を持っており、全世界で23億台以上もの携帯電話に採用されています」(三橋氏)。
さらに、ユーザインタフェース開発ツールであるInflexion UIの提供、Embedded Alleyの買収により、AndroidやLinuxなどへの対応を進めてきた。また、オープンソースの開発ツール群を提供してきたCodeSourceryを買収するなど、組み込みソフトウエア製品のラインアップ強化を図っている。 ここでは、多くの組み込みソフトウエア開発ツールのなかから、Sourcery CodeBenchとInflexion UIを見てみよう。
GNU標準化の方向性を決定する著名なエンジニアが多く在籍
Sourcery CodeBenchは、GNUツールチェーン(GCC)ベースのC/C++開発環境であり、Eclipseをフレームワークとして機能を拡張できるものだ。Sourcery CodeBenchを開発したCodeSourceryは、プロセッサベンダなどへのチューニングサービスをビジネスにしてきた高いスキルを備えており、Mentor Graphicsになってからも同様のビジネスを継続している。「CodeSourceryは、GNU標準化の方向性決定などに関わる著名なエンジニアが多く、そのエンジニアをMentor Graphicsが抱えることで、組み込み業界に対して多彩なソリューションを提供できるのも強みのひとつです」(三橋氏)。
Sourcery CodeBenchは、Vista Architectと連携する。ソフトウエアエンジニアは、ターゲットが実ボードでもVista Architectのモデルでも、同じように扱うことが可能となり、仮想モデルと実機間をシームレスに移行したソフトウエア開発ができる。「Sourcery CodeBenchは、さまざまな機能を備えたツールとしてワールドワイドでの高い実績があります」(牧野氏)。
組み込みシステムのユーザインタフェースを簡単に作成
Inflexion UIは、組み込みシステムのユーザインタフェースを簡単に作成できるツールである。ユーザインタフェースは、システムの差異化に大きなポイントとなる部分である。ネット接続などの基本機能では、差異化を図ることはできないからだ。ユーザインタフェースでは、意匠が大切となることから、デザイナーが手軽に使えるツールが求められている。「Inflexion UIは、アニメーションなどの動きを含めたグラフィックスをデザイナーが手軽に作れるのが特長です。さらに、ランタイムエンジンまで自動生成されることがInflexion UIの最大の特長です」(三橋氏)。
いままでは、ユーザインタフェースのデザインを受けて、ソフトウエアエンジニアがそれを表現していた。「デザイナーとソフトウエアエンジニアの意思疎通の度合いによって、作り直しなどに時間が掛かっていたものが、Inflexion UIを用いることで短縮できることがメリットです」(三橋氏)。さらに、Vista Architectとの連携も可能であり、システム開発の早い段階からユーザインタフェースを検証することもできる。
今後も組み込み市場へのアプローチを強めていく
Arm社との関係は、Arm7の頃からだという。「Armとの付き合いは、15年を超えており、非常に長くお付き合いいただいています」(三橋氏)という。現在、Mentor GraphicsではCortex-M3とA9のユーザ数が増えており、さらにCoretex-R4やR5も出てきている。またCortex-A7やA15についても、Vista Architectに統合される形で提供されているという。「Vista Architectは、ハードウエアプラットフォームを作成するエンジニアに向けたものです。今後は、低コスト化を図った派生製品を充実させ、組み込みソフトウエアエンジニアが使いやすいようにしていきます」(牧野氏)。
「組み込みシステムは、ソフトウエア開発のコストが圧倒的に大きくなっています。Mentor Graphicsは、その改善に向けたツールをさらに拡充させていきます」(三橋氏)。組み込み市場へのアプローチを強めていくのが、Mentor Graphicsの会社としての方針である。その一環として、Sourcery CodeBenchとVista Architectの開発メンバーが一緒に動き始めているという。
最後に牧野氏は「組み込みシステムの開発は、ハードウエアとソフトウエアの各ツールをワンストップ化していかないと、今後は成り立ちません。Mentor Graphicsは、お客様のご要望に合わせたツールを併せてサポートしていきます」と結んだ。
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